もう10年以上前のことだ。
新宿伊勢丹の食器売り場をぶらついていた時、展示されていた急須に目が留まった。
ころんと丸い朱色の肌に金彩で桜の花と花びらが描かれている。
手に取るとその丸みが掌にとても心地よい。
その形のせいか、それとも後ろ手についた取っ手のせいか、小ぶりのティーポットと呼ぶほうがしっくりくるモダンなデザイン。それが和色の朱赤と桜の花で彩られてなんとも美しい。
急須を買いに来たわけじゃないのに突然「これが欲しい」という思いが胸の中でむくむくと膨らんだ。
2万円を超える値段に正直かなりためらったが、「もうすぐ誕生日だし、ちょうど臨時収入も入ったし」と色々言い訳しながら清水の舞台から飛び降りる気持ちで買い求めた。
それが創業120余年を誇る有田焼の老舗ブランド、深川製磁の急須。
私が金継ぎに手を出すきっかけとなる急須である。

以来、他の食器とは別格の丁寧さで大切に扱い、煎茶、玄米茶、ほうじ茶、紅茶等々、ありとあらゆるお茶をこの急須でいれては「良い急須で入れるとお茶が美味しいなぁ」と悦に入るティータイムを過ごしていた。
ところがある日、我が家のデストロイヤーこと相棒がこの急須の蓋をうっかり落っことして割ってしまうという惨事が発生。
私がこの急須を特別大事にしていることをよく知っていた相棒は自分のしでかした不始末にショックを受け、とても申し訳なさそうな顔をしてこちらを見る。
だが、より大きなショックを受けたのはもちろん私のほうだった。相棒の手の中にある無残な姿の蓋を見た途端、私の目からは衝撃の涙がぽろりとこぼれ落ちた。買ってまだ2年も経っていないのに、よりによってこの美しい急須の蓋を……。
だが覆水盆に返らず。割れた蓋が涙でくっつくわけもない。
数日は悲しい気持ちで過ごしたものの、気を取り直して割れた蓋をどうやって美しく尚且つ安全にくっつけるか模索する。
たどり着いたのはもちろん本漆を使った金継ぎである。
いくつか目星をつけた金継ぎ屋さんに早速問い合わせたのだが、どうやらタイミングが悪かったようで、「1年待ち」や「新規修理受付けは休止中」とか「急須の蓋は扱ってない」という返事ばかり。
「1年も待つのか」とすっかり意気消沈していたそんな時、たまたま寄った東急ハンズで本漆の金継ぎセットを発見した。
「よし、こうなれば思い切って自分でやってみよう!」
セットについていた指南書に従って、ちょうど欠けていた有田焼の飯碗と一緒に試行錯誤しながら初めての金継ぎにチャレンジだ。
途中、うっかりサンドペーパーで傷をつけてしまうという大きなミスをしてしまったものの、数ヶ月かけて金継ぎした蓋は初めてにしては上出来で、割れた蓋の継ぎ目部分に入った金のラインも金色の桜の花びらと馴染んで満足のいく仕上がりだった。
ところが、である。
完成して3、4ヶ月くらい経った頃だっただろうか。さてお茶を入れようと蓋をとったところ、継いだ部分がぽろりと取れてしまったのだ。「え!?」と思って別の継ぎ目に触ってみると、そこもあっさりぽろりと取れる。
数ヶ月かけて直した蓋が数ヶ月で元の木阿弥、大小4つのかけらに戻ってしまったのである。
「やっぱり素人の初挑戦じゃ無理だったか」と妙に納得しつつ、もう少し腕を磨いてから再挑戦しようと蓋の残骸を紙でくるんで仕舞い込む。
そしておよそ10年の月日が流れ、コロナ禍がやってきた。
その間、朱色の桜の急須はと言えば、時には蓋なしで、時には他の急須の蓋を借りて少々哀れな姿でお茶を入れ続けていたのだが、そろそろ本来の美しい形に戻してやりたい。
10年前の初チャレンジ時とは打って変わって今度は事前にしっかり勉強を進め、金継ぎのハウツー本を5、6冊ほど読み比べた上にインターネットでも情報を漁って間違いなくしっかりくっつける方法を探る。なんせ時間はたっぷりあるのだ。
そしてたどり着いたのが「ガラス用の漆」という本漆に10%ほど合成樹脂を加えた漆だった。
ツルツルで漆が接着しにくいガラス用に開発されたものらしいが、表面がガラスのようにツルツルした磁器にも使えて従来の漆より接着力がはるかに高いそうだ。
漆屋のウェブサイトによると乾燥後2週間経過した後で水に1ヶ月間つけっぱなしにしていても剥がれなかったとあり、なんだか成功の甘い香りが漂ってくる。
早速「ガラス用の漆」を取り寄せ、家族から預かった急須の蓋と一緒に修理を始める。
この急須の蓋は小さいカケラのくっつけ方が少々ややこしく、ずれないようにマスキングテープでしっかり固定するのにずいぶん難儀をしたが、なんとか固定し、深さのあるスチロールのトレイをくり抜いて作った「お立ち台」に立たせる。

そしてこのままたっぷり3週間放置。
完全に乾いたところで、はみ出たところを彫刻刀で削り、欠けている部分を錆漆で埋め、乾かし、研ぎ、また錆漆をつけ、乾かし、研ぎを繰り返す。
凹みが埋まって表面もきれいに滑らかになったところで漆の下塗りをし、乾かし、研ぎ、中塗りをし、また乾かし、研ぐという作業を繰り返す。
「まあこんなもんかな」と納得がいったところでいよいよ金粉を蒔く。
実は昨夏、金の価格が史上最高値を記録して金粉もものすごく高くなっていたため、今回は色漆で仕上げようかなと思っていたのだが、10年前に買ったと思われる「金泥」が金継ぎの道具をしまっていた箱の隅っこから出てきた。
この急須に蒔くのに十分な量があったので、10年前の自分を褒めながら「やっぱりこの急須は金でなくっちゃ!」と艶消しの金泥を蒔いて仕上げることにした。
ゴールドを蒔く時には色がきれいに出るというので赤い漆を塗ってその上に蒔くのがお約束。なるべくうっすらと弁柄漆を塗る。
あまりきれいに塗れなかったが仕方ない。
このまましばらく乾かしてから、真綿に金泥をとって漆の上に蒔いていく。
弁柄漆を塗り残してしまった部分があるのでまだまだ手直しが必要だが、やっぱり艶消しゴールドが美しい!
このあと塗り残し部分とはみ出た部分の手直しをし、それを2週間じっくり乾かして完成したのがこちらである。
線も太くてあちこちはみ出ている部分やムラがある部分が目に付くものの、それでも元の美しいフォルムに戻った蓋はぷっくりして可愛らしい。

せっかくなので、日本画を描いている姉に昔描いてもらった桜の絵の前で記念撮影。

今年は桜の開花も早く、東京では数日前に開花宣言が出た。
だが我が家では桜を見に行かなくても、家にいながらいつでもお花見できるのである。

さて、おいしいお茶を入れて花見でもするか。
10年ぶりに元の姿に再会ですね☆
言われなければ、デザインかと思うくらい素晴らしい仕上がりです。
お姉さまの日本画も美しく、素敵な写真です。
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ありがとうございます。
近くてみるとかなり雑で、写真はずいぶんよく見えるのでなんだかお恥ずかしいです。
姉の日本画はもっとデカいのをねだればよかったなーといつも思っているんです^^
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