NY マンハッタンのヘアサロン:Salon Shizen

NYのヘアサロン Salon Shizen

ニューヨーク、マンハッタンの2nd Ave Lower East SideでサブウェイのFラインを降り、East Houston Streetと1st Aveの交差点を北上する。プロジェクトの大きな赤茶色の建物群を右手に見ながら6th Streetを東に入る。

Avenue Aを越え、ひたすら東に進んでAvenue Bも横断し、さらに東へ。
すると、黒いキャノピーの小さなサロンがひっそりと左手に現れる。

アルファベットシティに2005年11月にオープンしたヘアサロン、Salon Shizenだ。

Salon Shizen
Salon Shizen

ここを初めて訪れたのは6年近く前の真冬のこと。

2004年の頭にNYに引っ越して以来「美容院を求めて三千里」状態となり、髪が伸びる度に母から「似てる」とからかわれた、京都今宮神社やすらい祭りの「やすらいさん」になりそうだと恐れ始めていたちょうどその頃、偶然ネットで見つけたオープンして間もないヘアサロンだった。

真っ白い壁にはまるで映画「サウンド・オブ・ミュージック」の冒頭に登場しそうな山と湖の写真が転写されている。

うなぎの寝床のような店には4席しかない。

楕円形の鏡が据え付けられた壁は白く塗られたブリックで、天井は19世紀終わりから20世紀初頭に北米で流行した、白く塗装されたブリキの天井パネルだ。

Salon Shizen
Salon Shizen

迎えてくれたのはKoshiとYoko夫妻と、Koshiの弟のTaiki。皆ソフトで暖かみのある笑顔をしている。それがSalon Shizenの経営者達だった。

3人は、明らかに日本人ではない名前を持つわたしが日本語を話すと知るや胸を撫で下ろす。どうやら英語には全く自信が無いらしい。

しかし、そのたどたどしい英語とは対照的に、その技術と美的センスは確かなものだ。
髪が一房切り落とされるごとにわたしの不安も切り落とされて行く。

1時間後、今宮神社の「やすらいさん」からNYのイケてる女に変身したわたしは、1年ぶりに感じた幸せで胸がいっぱいだった。

そして「この3人はなぜ、どうやって、このNYにヘアサロンをオープンしたのだろう?」という疑問で頭がいっぱいになった。

その疑問に答えが得られたのは今年の夏のこと。

NYにSalon Shizenをオープンした2年半後の2008年6月に、この3人組が東京青山にオープンした2店目のヘアサロン THE OVERSEA 近くのカフェでのことだ。

Salon ShizenのKoshi(左)とYoko(右)
Salon ShizenのKoshi(左)とYoko(右) photo by Sooim Kim

転機は突然訪れた

「NYが好きだったんですよ」

なぜNYを選んだのかという問いに、Koshiはシンプルにそう答えた。

「NYには好きなものが全部あったし。音楽もアートもファッションも、フィーリングが合うものが全て。でも、好きだから旅行では行ってたけど、店を出すなんて全然予定してなかったんですが」

そんなKoshiがNYに店を出そうかと考え始めたきっかけが退職。

都内の大手サロンでディレクター、トップスタイリストとして活躍し、もうすぐ勤続10年になろうとする頃、サロンと自分の方向性にズレがあることに気付いたのだ。

「お店の作り方とか教育方針で、ちょっと違うなって思って」

退職は2004年9月だった。

それまで日本で自分の店を出すことも全く考えていなかったKoshiの頭に、「その時NYがちらついた」らしい。

一方、同じサロンに勤めていたYokoは「漠然と『海外に行きたいな、働きたいな』とずっと思っていた」という。

「その時一緒に住んでたんですが、Koshiが『辞めてきた』って現れてね。
何も決めてなかったし、『じゃあどうする?』ってなって。『(わたしの出身の)山形に店を出す? (Koshiの出身の)大阪にする? それとも東京にする?』と話していたんです。でも海外にはどっちにしても行きたかったし、『例えば東京で今お店を作ったとして、5年、10年後、歳をとった時に海外に行こうっていう気になると思う?』という話になって。
『だったら先にもう行っちゃったほうが良いんじゃない?』『じゃあ行こう!』って」

Yokoには「英語は話せないけど髪は切れるから海外でもいけるんじゃないか、というちょっとした希望」があったという。

その「海外」をNYに定めたのは「NYに居ると感じる人当たりの良さや、マイノリティを受け入れてくれそうな雰囲気」が大きいとKoshi。

東京の別のサロンで美容師をしていたTaikiもKoshi にNY行きを誘われて「もちろん乗る気満々」だった。

美容師になる前は違う職業に就いていたTaikiは、NY好きの兄に勧められ、美容学校に行く前にNYで1ヶ月を過ごしていた。母親や兄の職業である美容師に自分もなろうと決意させたのはNYでの1ヶ月でもある。

しかし、3人はNY行きを決意したものの、アメリカに移り住み、仕事をするために何が必要なのかはよくわからない。

手に取ったのは「地球の歩き方」だった。
11月のことだ。

Salon ShizenのTaiki
Salon ShizenのTaiki, Photo by Sooim Kim

当たって砕けろでNYで起業

「それがほんとに頭の悪い話なんですよ!」

Koshiが話し始めると、当時を思い出したYokoが横でおかしそうに笑い、二人でお互いの話を補いながら楽しげに話し出す。

「『地球の歩き方』を見て大使館でビザが取れるんだってわかって、じゃあ大使館にビザの取り方を聞けばいいって手紙を出したんです。二人真剣にテーブルに座って、紙の切れっぱしに『アメリカで働くためにはどうすればいいですか? どうやったらアメリカで住めますか? 教えてください』って5行くらいにしかならない手紙を日本語で書いて。
『もうこれしかないよな』って投函したんですよ。そしたら大使館から『ビザをとるときはこれこれこういう手続きをしてください』って返事が来たんです。
それを見て『あ、そうなんだー』と思って(笑)
これはプロに相談した方がいいなってことで、もう一度『地球の歩き方』を見て、そこに載ってるニューヨークの日本人弁護士に国際電話をかけたんです」

しかし、アメリカで美容室を開きたいと相談を持ちかけても、「いったいどこから電話しているんですか?」という邪険な扱いを受けただけだった。

だが、何ごとにも「当たって砕けろ!」で取り組む三人組は、当たって砕けてもさらに次を目指して体当たりだ。

「最初は『思い切って電話したのに』と随分落ち込んだけど、でも3人目の弁護士が親身になって僕らの話を聞いてくれて。
それで『うちはビザ取得が専門ではないから』と、信頼できる移民法専門の弁護士を紹介してくれました。この人に巡り会わなかったら今の自分たちは無かったかもしれません。
その弁護士にはNYに店をオープンするために必要な法律関係を全て依頼して、ビザはその方に紹介してもらった別の弁護士に依頼しました」

綿密なプランを国際電話で練った。

KoshiとTaikiの母親が長年ヘアサロンを経営しており、その子会社を新たにNYに作って従業員を派遣するのなら、Lビザ(駐在員ビザ)を申請できる。

「とんでもなく苦しんでやってもらわないと困る」と言われた膨大な書類を死にものぐるいのスピードで整えた。

KoshiとYokoは婚姻届を出し、最初の電話から約4ヶ月後の2005年2月、Koshiと TaikiがNYを訪れて弁護士と最終の打ち合わせをする。

3月、Yokoは10年勤めていたサロンを退職。

ビザインタビューは5月に決定した。
眠れない夜を過ごして英語の練習をする。

その甲斐があったのか、はたまたKoshiが生まれて初めて着た弟Taikiのお古スーツにご利益があったのか、面接は無事終了し、数週間後にまずKoshiとYokoにLビザが下りた。

弁護士も驚くほどの異例のスピードだった。

6月2日、Yokoの誕生日に二人はNYに降り立った。

Photo by Kathy Lo
Hair by Yoko, Koshi, and Hando, Make by Yoko, Photo by Kathy Lo

Top Photo by Tim Barber

次ページに続く

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面白い映画、演劇、ドラマを求めてあちこちをさまよいつつ、美味しいものを食べ、好奇心にまかせていろいろ作る。

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