こもりっきりの部屋の窓から青空を眺めていたら、ふとカニを思い出した。
そういえば去年の今頃はアメリカのメリーランド州にいて、トンカチでカニを叩いていたっけ。
泊めてもらっていた友人のお屋敷から国立野生動物保護区を目指していたとき、道路脇に突然巨大な蟹の看板が出現した。
「たしかメリーランドはカニが名物だったな」
看板には大阪名物「かに道楽」もびっくりの大きなワタリガニがペンキで描かれている。
脚をもぞもぞ動かす大阪の親戚とは異なり、こいつはじっと下を向いている。一見控えめだが、真っ青な空の下の赤い壁を背景に全身を披露しているせいかインパクトはデカい。

中途半端な時間ではあるが、せっかくだからと車をとめて、その店、Ford’s Seafood Inc. の中に入ってみた。
真っ赤な外壁とは裏腹に、店の中は簡素な作り。
奥のテーブルに座り、地元でその日に取れたばかりの Maryland Blue Crabsを注文してみる。
メリーランド訛りで話すウェイトレスがテーブルの上に紙のシートを敷き、その上に木製のトンカチと小さなナイフが入ったプラスチックバケツをドンと置いて行った。

しばらく待つと、今度は蒸し立てのカニがいっぱい入った真っ赤なバケツをドン!
熱々のカニはおがくずのような特製シーズニングまみれになっている。

「食べたことある?」と質問されて「初めて」と応えると、ウエイトレスはにっこり笑いながらバケツの中のカニを一杯取り出し、テーブルの上に乗せ、おもむろに木製のトンカチを力強く振り下ろした。
ドン!
カニの殻が見事に割れる。
「あとはこれで食べればいい」
ウエイトレスは小さなナイフをこちらに手渡してテーブルから離れていった。

バキッと割れた殻の中からナイフで身を掻き出すと、殻にふりかけられたシーズニングが白い身にくっつく。それをパクッと口に入れる。
美味い! めちゃくちゃ美味い!
Old Bay Seasoning に似た特製のシーズニングが甘みのある身とよく合い、濃厚なカニ味噌ともよく合う。
小さな脚は後回しにして、次から次へとカニの甲羅と爪をトンカチで叩いてはその中の身や味噌をむさぼり食べる。
あっという間にカニでいっぱいだった赤いバケツは空っぽになり、空っぽだった緑のバケツはカニの殻でいっぱいになった。
指や手のひらはカニから出たジュースとシーズニングでオレンジ色だ。
大満足の笑みを浮かべて洗面所にむかい、石けんでその手を洗う。
最近は新型コロナウイルスをやっつけるためにせっせと手を洗っているが、メリーランドにいた去年の今頃はこれ以上舐められなくなったオレンジ色の手指をゴシゴシ洗っていたのだった。
「また来よう」
そう思いながら。