散歩に出ると、あちこちでドクダミの白い花を見かけるようになった。
濃い緑やほんのり紫に色づいたハート型の葉の中から天狗の鼻のような黄色いしべを突き出して、ほんわり輝くように白く咲いている。
これまで何度も通っていたのにこの木陰にドクダミが茂っていたのか。
しゃがんで葉にふれるとフワッとドクダミの匂いが漂う。
その匂いが鼻にたどり着いた途端、子どもの頃に祖母が煎じていた「十薬」の記憶が蘇った。

子どもだったわたしは「十薬」というのは十種類の生薬を混ぜて煎じた漢方薬のことだと思っていた。
それが十の薬効を持つドクダミの別称だと知ったのはずいぶん後で、こんな可愛らしい花を咲かせるのを知ったのも大人になってからだ。
祖母の家に遊びに行くと、新聞紙いっぱいに広げられて乾燥中の「十薬」の葉っぱを見つけたり、チンチンと音を立てながら煎じられている「十薬」に遭遇したものだ。
裏の工場でガッチャンガッチャンと大きな音を立てているはた織り機に負けないよう、大声で「こんにちは〜!」と言いながら祖母の家の引き戸を開ける。
そこでドクダミの臭いに襲われると途端に遊びに来たことを後悔する。
「しまった。十薬を飲まされる」
孫たちの中でもひときわひょろっと細っこくて胃腸が悪かったわたしに、祖母は煎じた十薬をよく飲ませた。
「さあ」と手渡された湯呑みには真っ黒な液体がなみなみと注がれ、臭気を放っている。
鼻をつままないととてもじゃないが飲めない臭いと味。
祖母は湯呑みを手渡した後で台所に戻るものの、離れたところで作業をしていてもわたしが最後まで飲み干したかどうかはお見通しだった。ズルをして祖父の盆栽の土にかけてしまおうと考えた矢先、「全部飲みなさい」と祖母が台所から静かに言う。
なぜバレたのだろうと不思議に思いつつ、文字通り苦々しい顔でそれを飲み干し、うげーっとばかりに舌を出しながら空っぽになった湯呑みを台所に持っていく。
すると祖母は口直し用に箸につけたハチミツを渡してくれた。

ドクダミの匂いにそんな昔を思い出し、ふと思い立って共用庭のあちこちに茂っているドクダミを少し摘んでみた。
祖母と十薬が懐かしくなったとはいえ、さすがに「自分で煎じてもう一度飲みたい」という味ではない。だが、ドクダミはアルコールに漬けておけば肌荒れや虫刺されにも使えるドクダミチンキになる。
摘んできたドクダミの花と葉をきれいに洗って乾かし、それを小さな瓶にぎゅうぎゅう詰めにして上から40度のウォッカをドボドボと注ぐ。
来月、祖母の命日を迎える頃には琥珀色のドクダミチンキになっているだろう。
