今日が6月30日だと気づいた途端、「水無月を食べなくては」という強迫観念に取り憑かれた。
6月30日といえば「夏越の祓(なごしのはらえ)」の日。京都では無病息災を願い、暑気払いに「水無月」を食べる日だ。
なんせコロナの時代である。
今年前半の厄払いをして、後半も厄を除けて過ごせるよう、美味しい和菓子を食べて祈願する日となれば、なんとしてでも水無月を食べねばならない。
東京の和菓子屋に今日「水無月」が売っているのかという不安と、売っててももう売り切れてるかもしれないという二つの不安に駆られながら、今にも降り出しそうな曇り空の中を駅前の和菓子屋さんまで急ぐ。

水無月はもちもちしたういろうの上に甘く煮た小豆が乗っかっている三角形の和菓子だ。
子どもの頃から大好きで、毎年この時期を楽しみにしていた。
和菓子屋の店先にはういろう部分が白いものと、黒糖を使った茶色いもの、抹茶入りの緑のものが並んでいるが、うちはいつも白い水無月と決まっていた。
ある年、なぜ白いのばかりなのかを母に尋ねると、
「氷やから」
という応えが返ってきた。
「へー」
とわたし。
これが氷なわけないと思いつつ、すでに水無月に歯形をつけはじめていたわたしは、納得したような納得していないような興味を失った返事をして食べかけの水無月に舌鼓を打つ。
母のこの応えの意味を知ることになったのは、それからしばらくしてのことだ。
小学校の遠足前の事前学習で、京都の氷室神社と氷室について習ったのだ。
なんでもその昔、京都にはいくつか氷室があって、冬の間に池で作った氷をそこで保存していたらしい。夏になると氷は朝廷に献上され、暑気払いに公家たちが氷を食べたという。
だが庶民は貴重な氷など口にすることができない。そこで氷の形を模した三角形のういろうを作り、赤い色が邪気を祓うと言われている小豆を乗せ、氷の代わりとして暑気払いに食べたのだそうな。
それが和菓子の「水無月」という話だった。
学校では昔の人がどうやって氷を作って、それをどうやって保存したかとか、氷室がどこにあって、それを今度みんなで見にいくのですよという話を先生がしていたが、わたしの頭の中はすでに氷を食べるお公家さんのイメージでいっぱいになっていた。
親が営むレストランには、定期的に大きな氷柱を持ってくる出入りの氷屋のおじさんがいた。
その日になると水がぽたぽたと滴り落ちるトラックが店の前に停まり、氷屋のおじさんが荷台の帆布とムシロをめくる。するとそこには透き通った大きな氷がいくつも並んでいる。
おじさんはその中の一つをキャプテンフックの手のような鉤針でぐさっと突き刺して引き寄せ、ノコギリで四角く切りとる。おがくずならぬ氷くずがいっぱい出来て、それをおじさんが手のひらで集め、見物しているわたしの方にぱっと振りかけてニコッと笑う。
そうしたあと、大きな氷バサミで氷をぎゅっとはさみ、店の中まで運んでいくのだ。
遠足前のその日、わたしの頭の中ではいつもの氷屋のおじさんが氷柱を床にドスンと置く姿と、動きにくそうな着物を着た昔のお公家さんたちが氷柱の周りに群がって変わりばんこにそれを舐める姿が浮かび上がった。
氷室の説明を続ける先生の話など、ろくすっぽ聞いてない。
そうして氷を舐めることと水無月を食べることを天秤にかけ、
「やっぱり水無月のほうがいい」
と決断を下していた。
花より団子。氷より水無月。
あれから何十年も経った6月30日の昼下がり。駅に向かうわたしは、
「白いういろうのがあったらいいな」
と思いながら、降り出した雨のためではなく、水無月のために足を早めた。